home 2001/01/08            

積層1


 やはり小言が始まった。池田は真木富士子には度々悩まされている。
富士子は連日バーチャルツアーロボット3号の魅力にのめり込んでいた。
”波内には、入らない様あれだけ注意していたのに..”気の弱い彼は蚊の泣く様に呟くだけだった。
今日も声にすることは出来なかったが、それよりも遠隔ロボット3号本体の活動場所
オワフ海岸でとばっちりを受けた同期のマイクのご苦労を思うと
気が滅入ってしまった。現地はすでに真夜中でマイクは眠りについているはずである。
マイクとは同期入社の仲でなんとなく気が合った。今回のトラブルの原因は,

現地のロボットの足が砂に潜りこんでしまって身動きが出来なくなってしまったのだった。ルビー色に真っ赤に燃えた真球の巨大な神秘な塊が海水の中に蒸気を吐くでもなく厳かに潜りこんで行く様は誰でも興奮する。
都会の雑踏の中を忙しく飛び跳ねていた富士子にとっては
夢にまで見た渚でそよかぜを肌に感じてうっとりしていると、全ての感覚はその塊の持つ巨大な力に吸い取られるのだった。ところが,流石は、やり手の営業ウーマンだった。
現実に戻るととたんに先制攻撃をかけてきた。初心な池田はあっけに取られるだけだった。
”何よ、この機械、せっかく海の水で足を冷やしたかったのに、やはり昔の海水浴は良かったわ、こんな機械だめよ”
それまでの感情とは全く違ったことを口走った。池田にとっては、踏んだりけったりの感だった。今回も無理して予約を取ってやったのだった。それなのにそこまで言われるとは思わなかった。しかし自分のモニター管理ミスを認めないわけにはいかなかった。
浜辺の波の繰返しが砂を深く掻き出しすぎてしまったのだ。始めてのケースであった。
富士子の足の筋肉では砂から抜けないのであった。
すなわちオワフ海岸に居る遠隔相手、ロボット3号の筋力も
砂から抜け出せ無いわけである。富士子と3号は全く同体感覚なのである。富士子の身に取りつけたセンサーの信号はオワフの3号に同時に正確に反応していた。渚の神秘なショーもいよいよ終焉を迎え、彼女はホテルに戻ってお気に入りのボーイと片言の英会話を楽しみたくなって、向きを変えようとしたが両足が砂に深くもぐりこんで移動できない状態になっていた。

マイクはコンチネンタルホテルに3号を紹介して出入り自由の許可をもらってあった。ホテル側も
バーチャルツアーには並々の理解を示してくれた。


富士子の体からセンサーをすべてはずし終えて、池田はほっとしたが、
富士子の隙の無い圧力に池田は対抗できなかった。
一時間の使用料を踏み倒すつもりが見え見えである。一時間1万円の使用料である。
ちなみに池田の日給は10000円だった。世間並以上に満足していた。2000年ころから物価が50%も下がって結構楽だった。
また課長から叱られるのが目に見えている。まえにも3かいほどねぎられたことがあった。 
ひょっとしたら会社を辞めさせられるのではないかと思うと、憂鬱に成ってきた。
若い看護婦もそばにいたし、世間の経験も浅く性格上反論ができなかった。
この仕事はけっこう気に入って入社したのだった。
山田病院は比較的裕福な患者が入院していたので、会社にとっては上得意先であった。
一日10時間も駆動させることが出来た。
新米の池田にとっては年配患者の扱い方がまだわからなかったのだった。

富士子は独身であったが、友達と60歳の誕生日を特性のケーキとランの花で飾って
結構盛大に自宅で盛り上げていた。
ビールで乾杯を追えてまもなく、一度変な咳をしたとたん、急に息が詰まって胸をかきむしって
そのまま気を失ってしまった。
最近独身者に流行りのペット感染急性気管支炎による入院1ヶ月目で、今では退院まじかでベット生活にいらいらしていたのだった。
職業は売れっ子ネット保険勧誘員で年収はこの国の総理大臣より多かったし、
とても60歳には見えないくらい実際若かった。
そろそろ旅行にでも出て遊びたかったのだった。
池田はその辺の感覚を理解していなかった。年配の課長にも責任があったが、
会社は多忙すぎて社員教育を其処まで出来ていなかった。
その時池田は技術者らしく一生懸命リモートセンシング機械のモニター管理に神経を集中していたはずだったが
実は池田も富士子同様沈み行く太陽に見とれて、うっかり3号の足元のことに神経が及ばなかったのであった。
富士子の神経はバーチャル3号でハワイのオワフビーチを散歩していた時の事だった。
株式会社スリーディ社にとっては3号は良く働いてくれていた。かれこれ3年をかけてやっと半年前から実用化始めたのだった。

マイクは枕もとの3号のモニターからの悲鳴のような叫びにベットから転げ落ちそうになった。
実際は悲鳴をあげたわけではなかったのだが、睡眠が壊れるときには誰でも大げさに聞こえるようである。
モニターには3号が足元を見つめて助けを求めている映像が映し出されていた。
マイクは
しゃきっとしないまぶたをすばやく両手でもんだ
未だ12時を廻ったばかりで星が賑やかに天空を埋め尽くしていた。
ジーパンに足を通し勢い良くガレージに向かった。
馬にでもまたがる様に愛用のルノーに飛び乗って、すばやくたずなをルート20方向にひねった。
眠気は職業がらとっくに覚めていていた。3号の困った様子だけがフロントガラスに映った
流石に道路はすいていたが海岸線のリゾート地ともあって、あいかわらず熱い関係の影が
やたらに目に付いた。最近はマイクには気にもならなくなっていた。
墨の様に真っ黒な海原を輪郭をかたどる様に型を変えながらジグザグで始まる波の輝きが
果てしなく繰返しては一点に収束していった。その点の中に3号がいるはずだった。
つい最近までは3号は無頼漢に良くからかわれて突っつかれたりしていたので、出来るだけマイクは一緒にいたが
生身のマイクには限界があった。会社の方でも理解していて
3号に改良を加えてくれたので、大分楽に成った矢先の事であった。
マイクにとっては3号は親友同然であり且つ生活の糧と夢をを提供してくれていたのだった。
バーチャルツアーの代理店権を別けてもらえるまでは、この厳しい時間割をこなそうと努力していた。

実は展開中の
改良すべき箇所が在った。
と言うのはスタート時,営業条件としてお客様には
必ずスタート地点に戻る事を約束して頂くのだが、
時たま我儘な客がいて放置されてしまう、
すなわち観光の途中でセンサーを外してしまうので、
ロボットが放置されてしまうと管理スタッフがつど現場まで
回収に向かう手間が発生する。
管理者がお客の代わりになって戻れば良いのだが、
車で回収した方が速い。
営業時間は3時間限度の決まりはあった。
逐次ナヴィゲーションでモニターされているので
回収先は即確認出来るのだが、
長時間観光されるお客の場合長距離が起こる。
お客様からは手間代を頂くので経費上の問題は解決するのだが、
残業が頻繁で管理スタッフが辞めてしまうケースが発生する。
開発当初から検討課題ではあったが、
ロボットの出来がよかったので、
商品化してしまった。バージョンアップの
開発はエンドレスで継続されていた。

研究所では同時にロボットと人との
ハイブリット商品も開発していた。
特許は申請済みだった。

スッタッフに進む方向を決めると
歩行速度スラックスセンサーを
着せて行なう商品をほぼ解決していたが、
今度はスタッフがロボットの様に
お客様の意志を忠実に実行しないだろうという
問題がクリアー出来ず、当面役員会議で否決されていたが
度重なる検討会議で
スッタッフの徹底した選別と訓練で解決の期待大との
結論が出て数ヶ月前商品化に決定した。

羽田空港の国際線ターミナルで池田は
8ヶ月ぶりに真っ黒に日焼けした
気の合う同期入社のマイクとハグで再会した。
大森の本社へ向かう車中で池田は富士子の件の失敗を詫びた。
マイクはそんな事より仕事がどう変わるのか心配した。
"I wonder that how change my job."
今回の会議の課題の、衛星ナビ受信機電子光学メガネ、
ゴーグルとスラックスセンサーを自分が着て
お客様の我儘な意志でロボットの様に
行動させられる仕事に不安を感じていた。
ロボットの時はIPHONを手放さなければ、
仕事はロボット3号の送り出し時に、
主に電源チェックだけで、
その後はお茶でも飲みながらゆったりと
砂浜の先の飽きの来ないコバルト色の海原を眺めて
タバコでもふかしてコーヒーでも飲みながら
モニターしてれば事足りていた。
池田は池田で、システムが変わるので
ハードとソフトの研修を受けねばならない事で憶い悩んだ。
ロボットに比べるとゴーグルとスラックスは
動作中の電源の注意だけが必要で
実際はそれ程難しくは無い様だが通信回線の
モニターの中のマイクがクライアントとしっかりシンクロナイズ
即ち同期がされているのかのチェックからは目を離せない。

大きなドーム状の数100mもの高さから
芸術性のある顔を持った天井に見下ろされている
広大なロビー先の重厚なイタリア大理石デザインの
受付カウンターで
毎度の厳しいガードマンロボット美和の
チェックを受けて、高速エレベータが
数10秒で15階の予定会議室G3に2人を運んだ。
既に国内外の現場スッタッフが30人程
カメラ付きのぶ厚い黒漆塗りの幅広い円卓に勢揃いしていた。
数10分後待ってましたとばかりに早速、
新井 事業部長お気に入りのエリート参謀山田課長から
新人スタッフ4人の簡単な紹介が済むと、
早速壁に投影された200インチ程の画像を見ながら
課題のゴーグルとスラックスセンサーの
詳細な説明が1時間ほど有った。
複雑なシステム構成図と内部回路の役割の説明が有ったが
池田はともかく文系のマックには理解に悩む素振りであった。
中でも重要案件は、クライアントの意志を無視する行動パターン、
交通事故を避ける為の箇所が注目されて意見が交換された。
ゴーグルとスラックスセンサーを全員試着して感想を交換した。
池田は着用してその軽さに感心した。
センサーの塊で暑苦しくダサイ防弾チョッキを想像していたが、
全く見当違いにデザインも素晴らしく何時も着慣れている物と
全く区別がつかないし、むしろ軽く着心地が良いのに感心した。
素材はカーボンより丈夫で軽い新素材のミクロン単位の蜘蛛の糸で編まれ、
自社開発の超特殊微弱電磁波受信送信センサーは
裏地の内部に超薄いシリコンセラミック素材に集積回路状に印刷されて
接着状に防水加工で縫い込まれていた。
表面は光触媒ハイドロテクノで汚れが付かない処理がなされていた。
電源は人体と外部との温度差で働く電池システムと
歩行運動をエネルギーに変える予備電原が駆動した。
株式会社スリディ長野バーチャル研究所で主に開発され10セット試作された。
量産は松崎工場で量産される予定だった。
試験運転はハワイ、パリ、ニューヨークで来月から行う事になった。
池田もマイクも熱い情熱が漲った。
会長はゴルフにも応用しようとの構想を持ているとの
噂を池田は耳にしていたが想像が及ばなく忘れていた。
会長は装置をカントリクラブの職員に着せて
会長室のスーパーシミュレーションブースで遊ぼうとしていた。
ブースの自分のショットが本番コースでシンクロナイズされ
ほぼ本番プレーがスクリーンに映し出せる訳だ。
ゴルフのスイングデーターを超リアルに現場の
職員に伝わるかが課題である。
シンクロナイズされる相手は柔らかい身体と
プロ並の筋肉が必要である。
ロボットと人間とのハイブリット化が考えられる。
数年前から会長の考案した宇宙論により
グローバル的に犯罪が半減していた。
会長はノーベル平和賞と哲学賞を受賞していた。
相変わらずゴルフ三昧でドライバーで平均260ヤードを超えていた。
医療事業部の高麗ニンジンサプリと紫芋サプリのおかげもあるのだろう。

早速、池田は多少問題は有ったが
内心大変喜んでいた富士子に
最初の無料モニターになって貰おうと病院に電話してみたが、
彼女は10日前に既に退院していた。
IPhonで検索して直接電話をしてみた。
5回ほど呼び出したが、取らないので、ssdでメッセージを残して、
会社に戻ろうと駅の方に歩き出して数分後
駅名の看板が目に付いたところで、
カエルの鳴き声が微に鳴ってる様な気がして
ジンンズの尻のポケットからIPHONを
やっと取り出した途端、切れてしまって
通話の相手登録もなかったが、
富士子の様な気がして折り返し電話した。
富士子は待ってましたとばかりに、早速、口汚く、
「貰ったので電話したのに何で直ぐ出ないの!」と叱られた。
池田は静かに丁寧に謝って、手短に案件を伝えた。
ちょっと駆引きの様な間が有ったが、すんなり承諾してくれた。
三日後の金曜日の夕方8時に富士子の
自宅のマンションで行う事に決定した。
早速ハワイのマイクにメールで準備させ、大井町線で帰社した。
大井町から京浜東北線に乗り換えて
1駅の大森駅東口からバス停のロータリーを超えて
大通りを渡ると超高層ISUZUビルの15、16階の
2フロア約600坪が本社である。
15階は企画室と会議室で、役員室と営業部は16階になっていた。
12の課に別れて池田は10課のバーチャル課に所属した正社員であった。
名刺の肩書きは営業部バーチャル課である。

マイクとは打ち合わせ済みで、既に出発準備は完了していた。
オアフホテルのロビーで待機していた。
朝6時で日が昇り初めて間も無い
快晴の静かな浜辺が目の前に広がっていた。
車が数台通り過ぎるだけで、人影は皆無で
波が砂浜で壊れる音が聴こえるだけであった。
早起きのマイクにとっては
決して寝不足はなく気持ちはスッキリしていた。
コーヒーカップを手にしたとたんIPhone が鳴った。
スーツに電源を入れてスタンバイ指示が池田からあった。
富士子は病院で経験していたので、
池田からの指導を特に必要としなかった。
センサーブースの中で速足で足踏みを始め
目の前に広がるハワイの砂浜に駆け出した。
素晴らしい眺めと塩風の匂いに誘われて
砂浜のサラサラ伝わる感触を素足で楽しみながら
一直線に波の側まで行ってどってっと座りこんだ。
マイクも富士子の行動にシンクロナイズして
現場の砂浜に座りこんだのだ。
自分の意思ではなく富士子の意思で行動する
自分に可笑しくなってきた。
富士子のメガネゴーグルが盛んに動いていた。
楽しくて周りをキョロキョロした。
マイクもキョロキョロする自分に
矢張り笑い出しそうな気分になった。
ゴーグルの富士子の信号が刺激を与えているのだった。
応答性もリアルで全くリアルに全筋肉が
富士子とシンクロして少し変な感じがした。
ゴーグルメガネ機能は改良されて
4Kビジョンまで性能が上がってたので、
鮮明度は人間の目を越えていた
富士子としてはハワイの砂浜で心身ともに
超リアル気分を味わっているわけである。
富士子もマイクも同時に満足した。
テストは1時間で、呆気なく終わった。大成功であった。
富士子は会員になるから半値にならないかと言ってきた。
上司と相談すると告げてお邪魔することにした。
装置を車に積んで社に戻った。
受付のガードマンだけで、
皆さん帰宅して誰もいないと告げられ、
事務所に行かないで、駐車場の車のトランクに装置を置いて
鍵をかけ帰宅することにした。
既に23時を回っていた。毎度のことであったが、
苦にはならなかった.

翌日広報部宣伝課から
バーチャルゴーグル通称3DVRの
宣伝物が完成したとの連絡があった。
池田はパソコンをスリープにして同フローアー東奥の宣伝課
大滝課長のデスク専用ソファーに腰を投げた。
窓越しに東京湾沿いの羽田空港がくっきりと観えた。
6ぺージに及ぶカタログ表紙の2ぺージ以外は
全ページが国内も含め世界の有名な観光地の鮮明な写真が載り、
写真の上に詳細な観光ルートが時間単位で
最大4時間コースまで明解に記入されていた。
表紙にはモデルにゴーグル、スラックスセンサーを身に付けた男女の
セレブモデルがデザインされてクライエントの気を引く可能性大であった。
おまけに新製品がバージョンアップされ送信側(クライエント)、
受信側(ハワイの場合マック)の装置である3DVRは
全く同じ物で可能になった。スイッチ切り替えで送受信に切り替わる。
重いブースを設置する必要がなくなっただけでなく
別々の観光地に向かったクライアントの友人同士が観光を
共有できることになる。おいおいニューヨークのジョンと
パリのシルビーとの交信がテストされるらしい。
クライアントを厳選し出発前に6時間研修し、
且つ貸し出しの契約が必要になる。
クリアーされなくてはならない課題はあった。
とにかく口下手でスリムな池田にとっては有難い資料であった。
池田の反応に大滝課長も満足した表情を見せた。

池田には営業ノルマがついた。
月間150万円を3DVR一台でこなさなくてはならない。
時間1万円なので150時間駆動する事になって
1日8時間のノルマが課せられた。
オプションが無ければ残業がかなり在りそうだった。
営業には残業代が付かないが、
ノルマに応じて大きなボーナスがあった
クライアントの買い物があった場合には
オプションが付いた。買い物の3%がノルマに加算された。

早速マイクとの打ち合わせを終えて、
パソコンで顧客のデーターベスから先ずは
成績の良かった山田病院に電話すると
何時もの受付の子が出て院長に回してくれた。
すんなりアポイントが取れた。
早速午後、山田院長さんを訪ねたが急診診療中で逢えなかった。
受付にカタログとお土産を置いて帰社した。
当日の夕方早速希望者がいるとの連絡が
山田院長自らあった。
"アポイントごめんごめん、明日早朝8時にバーチャル希望客がいる"
との連絡があった。

山田病院では旧型のロボットの噂が
近隣まで響いて元気な人が体験したいとの出来事も在った。

早速マイクにメールで伝えて3DVRを所定の
ジュラルミンケースに入れ、明日直行するので、
帰宅して風呂にでも入って早めに寝ることにした。

ハワイワイキキの時間は19時間遅れの午後1時、
昼時の賑わいの中の浜辺の散歩になる予定だ。

早朝自宅のマンションの玄関を出ると空は
ぶ厚い雲が覆いかぶさって今にも雨が来そうだった。
まだ五月に入ったばかりなのに大井町線の
奥澤駅から数分歩いてるだけで
痩せた池田にしては珍しく額から汗が滲み出た。
満員電車にもまれて息が上がったせいの様だ。
病院の玄関を入ると
朝の7時を少し過ぎたばかりなのに
ロビーの待合の日焼けした長椅子には
既に患者さんが70%ほど埋まっていた。

山田病院は医療設備は業界でも最先端を導入し、
還暦過ぎだが脂ぎった現役の山田院長以下、
呼吸気管では都内でも指折りの若い名医揃いだった。

顔見知りの受付の子が時間に正確な池田と目が合うと
待ってましたとばかりに笑顔で立ち上がって
薄いラベンダーの香りを下着に忍ばせて
そっと横に並んで豪華でだだっ広い院長室まで案内してくれた。
池田に気があるような素振りだが
池田は全く判ってない表情であった。

新しい物好きの院長さんは
数日前に持参しておいたカタログで、
ある程度の知識が有ったので
ゴーグルを素早く着てもらった。
その軽さに感心して暫く脱ごうとしないで、
身体を動かしてデザインなどを
椅子の後ろの壁にはまった大きな鏡で楽しんでいた。

"未だ時間が有るのでワイキキに行って見ますか?"
と池田はつい口走ってしまった。
院長さんは
"いいね!"の一声で早速パンツを履き替えて、
スタートさせた。池田はワイキキの
何時ものロビーで待機しているはずのマイクに
番外の注文を謝りながら頼んだ。
実績を積みたいマイクの弾んだ声が返ってきた 
" It is OK !"

瞬時にゴーグルの内部100%が
画像音声共に3Dで
超リアルな現実のワイキキに変わり
海辺特有の潮の匂いとカラッとした涼風を伴った
南国の浜辺が
澄み切った薄いコバルト色の空の下で
眼球一杯に拡がるカラフルな
パラソルと所々の空高く伸びて
成長仕切った椰子の陰に
多数のビキニのお嬢さんが群れていた。
ビキニのお嬢さんたちの
合間合間から180度の視野で
キラキラ輝く波の破壊が鮮明に展開されていた。

院長さんはびっくりして意味不明な感動の声をあげた。
ビキニのお嬢さんの方に歩き始めてるではないですか、
胸の谷間に目が吸い付いていたので、
院長さんがバーチャルのイメージでどんどん接近すると
シンクロナイズされているうぶなマイクが接近するわけで、
とんでもないことになりそうで、
ひょっとするとマックは耐えられづに
マニアルに切り替えてしまうかもしれないと危惧した。
池田はIPADのモニターで監視しながら
「そろそろ 」と小声で問いかけたが
院長さんは夢中で動き回り始めていた。

院長さんは夢中に成って池田の事を全く忘れていた。
予約の時間が迫っていた。
「院長さん」振り向いてくれない、仕方なく
肩をたたいて、やっと振り向いてくれた。
"すいません時間です。"
院長さんはしぶしぶゴーグルとスラックスを脱ぎはじめた。
"今度私が3時間分予約を入れるわ"
と言ってくれた。池田はほっと、ため息を漏らした。
池田はこの製品に手ごたえを感じたが心配も増えた。

とにかく急いで今日の本番予約先である
入院病棟のA3の阪本啓介さんを探した。
阪本さんは気管支ぜん息で息が苦しそうだった。
”大丈夫ですか?”コップの水を喉に流して
”始めてください”と静かに答えてくれた。
”2時間の契約ですが、よろしいですか?”
”お願いします。”丁寧で知性ある声であった。
たぶんどこかの社長さんかなと勝手に推察した。
”早速ですが、前金になります。”池田も静かに言った。
3号機の件で料金前金が会社の方針になった。
坂本さんは寝巻きの胴から
2万円をそっと出して池田に差し出した。
"ありがとうございます"と丁重に感謝を表し
同時に領収書を渡した。

スタート前の注意事項の中に
院長さんの時の事も盛り込むことにしたが、
坂本さんには言うべきでなかったと、後悔したが、
慣例だと自己納得した。

同じ頃パリのシルビーとニューヨークのジャックが同時
スタートのテストを始めた。
まずはニューヨークのジャックがクライアントになって
すなわち送信側でパリに居るシルビーが受信側となった。
スタートが切られた。
エッフェル塔に興味ありと前もって昨日シルビーに
電話で打ち合わせを済ませた。
シルビーがイエナ橋の袂で既にスタンバイしていた。

ジャックはエッフェル塔に向かって歩いた。
セーヌ川に架かるイエナー橋の袂から
巨大な鉄の塊を追いかけながら歩いた。
欄干の下には深い濃緑色に染まった
セーヌ川がゆったりと横たわっていた。
観光客で満席な船が通る度に
キラキラっとウインクを盛んに送ってきた。
ジャックは興奮ぎみに都度ウインクを返して手を振った。
"ああ夢に見たパリに来たんだ!"とつぶやいた。
車道にはさまざまなデザインの車が
ゆったりと列を成して行き来していた。
少し早足だったのか時間を忘れたのか
既にセーヌの胴を跨いでしまった。
ブランリ通りで信号待ちになった。
目の前には重厚なエッフェル塔が
巨体を反らして偉そうに見下ろしていた。
世界中から押しかけた
カラフルな観光客が巨大な4本の足元に群れて
盛んにシャッターを切っていた。
手軽なIPHONが目立った。
早足で信号を渡ると
左右にシャンドマルス公園の
緑を抱えたエッフェル塔の広大な
庭が 広がって居たが
鉄橋のような4本の巨大な足が
" 俺に挨拶しろ"とばかりに目の前を遮った。

"シルビアさんさぞ疲れたでしょう!ご苦労様です。"とつぶやいた
エレベータの前には既に各国の御のぼりさんの
すさまじい列が出来ていたが、
"ここまで来て昇らないわけにはいかない。
後30分我慢してください。"
自分の住むアメリカには無い
何か懐かしい感のする
中世の街全体を眼中に焼き付けた。
捜し求めたブローニューの森を
漫画の三銃士を重ねてしばらく眺めた
素晴らしい景観が360度展開された。
特にセーヌ川沿いの
純白色のコンコルド広場が素晴らしい。
"ゴーグルを付けたシルビーさんご苦労様"
"後数分で1時間ですからね!"
ジャックは時間がもったいないのできょろきょろした。

"シルビーさん振り回してすいません。ご苦労様"
"今度はニューヨークで僕を振り回してください。"

ジャックはこの仕事に大満足だった。

秘書課長の関口博から
16階の秘書室に即来て欲しいとの
連絡があった。
入社以来会ったこともない社員だった。
池田は急いで秘書室に向かった。
受け付けで課長に
呼ばれたと告げると
カウンターの上の
透明なクリスタルモニター上の
タッチスイッチで
01のボタンを指示された。
奥の部屋のドアが開いて即対面した。
面接の時会長の側にいた
小柄でがっしりしてた印象で覚えがあった。
笑顔で軽い挨拶を交わしたが、
何故自分が場違いな所に
呼ばれたのかと考えを巡らせて
池田は多少緊張していた。
"ご苦労様です。
会長がお呼びなので、
一緒に出掛けましょう!"
"えっ"と声を出してしまった。
"営業成績は悪くないはずだし、
何だろう"と無音で呟いた。
当社の人事権は会長が握ってるとの噂は、
社交性の無い池田の耳にも漏れていた。
会長は代表取締役社長を兼ねていた。
ニコニコしながら課長は
前に立って歩き出した。
会長室は秘書室回廊の突き当り奥に
重厚な薄い緑色の不透明な
クリスタルガラスで仕切られていた。
関口課長がガラスの中心に
右手を当てると
仕切りであったクリスタルガラスが
音も無く壁に吸い込まれて
大きな部屋が現れた。
数歩先に会長が笑顔で迎えてくれた。
池田は緊張のあまりとっさに
無言で頭を下げた。
"池田君慣れたかい"と声をかけてくれた。
"ははい"名前を呼ばれて
益々固まって何も言えなかった。
"あそこで話そう"と
会長は2人を大きな
応接ソファーに案内した。
ガラステーブルの上には
ケーキと入れたての
コーヒーが置いてあった
池田はちょっと安心した。

部屋の中央には扇状の
分厚い透明クリスタルガラス机があって
ガラスの中には40インチのモニターが
埋め込まれていた。
中央に大きな革製の
会長椅子が置かれていた。
椅子の背後は
継ぎ目が無い全面ガラスの窓で
窓の外を眺めると
空中に浮いてる感じであった。


品川発のアジアンエクスプレスは韓国済州迄の所用時間は2時間40分の予定であった。
カラフルな装いの世界の方達で満席であった。
"10分ほどで韓国済州市に到着します。
15分停車してパスポートカードのチェックと通関税2000円の納税があります。
釣り銭はありません。宜しくお願い申し上げます。"
と日本語、韓国語、英語、中国語、ロシア語でアナウンスが流れた。
その他の国民は席に取り付いたモニターで国旗をタッチすると文字で読み取れる案内サービスがあった。

関口と池田は上着の内ポケットからパスポートカードと通行税を手に握った。
会長はバックを棚から下ろした。
下関からずっと海底トンネルを走って数十分で対馬に到着した。
五分ほど停車して30分足らずで韓国領に入った。
釜山迄は乗り換え無しで新幹線で行けたが、
その先は線路幅の違いで韓国のセマウル号に乗り換えなければならない不便があったが、
この路線は世界中からの貨物路線と旅行者の予約でいっぱいだったので、
日韓朝中が等分投資で釜山から北京までセマウル号と並行に貨物路線と新幹線路線の追加3路線を建設中であった。
ビジネス優先で貨物の往復路線は昨年全線完成していた。
客線は来年には完成予定であった。

列車が済州に停車すると同時に前後から
制服で固めた若い韓国女性税関スタッフが
カード読み取り機を持って任務に就いた。
カードを渡すとモニターチェッカ箇所に重ねてモニター余白の
プロファイル欄の数箇所を数秒目でチェックし、
釣り銭無しの税を腰のバックに詰め込んで殆ど無言で進行した。
10分ほどで全席完了した。到着から15分後には走り出した。
瞬く間に太陽光線から海底トンネルの暗闇の中に入って行った。

間も無く5分程で終点プサンに到着します。ソウル方面セマウル号は一番乗り場になります。乗り継ぎの方はお急ぎ下さい。"
プサン到着から約20分後ソウル経由北京行きセマウル20号が待機中だった。三人は速足で向かったのでセマウル号の指定席に余裕で落ち着いた。
車内席は新幹線と比べると1列につき一席足りなかったので会長席は通路で離れた。
池田は韓国が初めてなので、物珍しげに盛に窓の外を眺めた。看板のハングル以外は日本と変わりが無かったが、時たま超高層マンション群で構成された10万人規模の新興都市が山間から50km感覚で突然現れては消えて行く景観に感動を覚えた。平均速度はやはり時速350kmで走行した。次の停車駅テグ迄は平地が殆どで遠方に低いなだらかな丘が連なりトンネルが無いので連続して韓国特有の民家がポプラ並木を抱えた田園の隅に現れては跳ぶ様に消えて行った。流石テグは大都市で高層ビルが長い谷間を作っていた。濁流の様に飛び込んだ列車は徐々に速度を落とした。客席の半数が吐き出されたが、瞬く間に埋まってしまった。ソウル行きは何時も混雑したが指定席がなければ無銭乗車が可能であった。改札もチェックも以前から無いのだ、良く良く考えると大変な合理性で満ちていた。お金が無くても列車にだれでものれる理屈だ。おとなしければ鉄道側も客も誰も困らないし双方経費の節減大であった。

ナクトンガンが大河の貫禄を見せつけて眩しい程の砂浜をたっぷり両脇に抱えゆったりと流れていた。ここの砂は粉のようで乾燥時は
素足では潜り込んで歩行が不可能だった。
数万年の風雪に耐えた貫禄を感じた。漢民族の文化の歴史が作られた流域であった。日本在住の韓国人の殆どがこの流域の出身で、懐かしさを偲んでこぞって多摩川、隅田川、淀川や江戸川沿いに定住した。

"間も無く終点ソウルに到着します。ご乗車有難うございました。お忘れ物の無い様お願いします。"
改札が無いので変な感じであったが並ぶことも無くスムーズに駅を後にして、メイン階段を降りた所に商談先の社用車の運転席から40代くらいの背の高い社員が降りて来て会長に笑顔で"アンニョンハセヨ"と声を掛けて来て握手を交わした。混雑を避けて車に素早く乗り込み支庁方向にハンドルを切った。名刺交換は社に落ち着いてやる事にした。
クーロングルプの化学事業部と株式会社スリディは10年前から共同開発を推進していた。
ノウハウの提供は100%株式会社スリディが提供しクーロン化学事業部が商品化した。利益配分は純利益の折半とし資材費及び経費はお互いに詳細なチェックを行った。
"アメリカ、カナダ向けの海底トンネルチュウブの製造工程の新提案に伺いました。"と新井会長が議題を提出した。

づづく